タカさんのコメントに対するお返事【猫嫌いの方への手記】
先日、台風19号が去った直後に『地域猫パトロール』を行ったという記事を書いてブログにアップしたところ、猫が好きではない(むしろ憎んでいる)と思われる方から批判のコメントを頂戴しました。
唐突なコメントだったので驚きを隠せませんでした。ご存じの方も多いと思いますが、はてなブログにおいてコメントが投稿された場合、管理人は承認か非承認かを選択することができ、非承認にした場合コメントが投稿されたことを知るのは管理人と投稿者のみとなります。
いたずらの類いと割り切って無視することもできたのですが、猫に対する悪意が込められていたことと、誤解されている部分があるようなのでコメントに対する返事をすることを決めました。
当該記事上でコメントを返してもよかったのですが、その誤解を解くにはあまりに長大な文章が必要なため、あえて記事にしてアップさせていただくことをご了承ください。
記事を書かせていただく背景には僕が今まで『猫が嫌いな人に向けた記事を書いてこなかった』という反省の念も込められており、コメントの投稿者のみならず、猫に困っている、果ては猫が嫌いだという方の目にも留まってほしいという願いが込められています。
当該記事はこちら
※本人に通知が届くことを期待してコメントにスターをつけています。「いいね」の意味合いではありませんのでご了承ください。
- タカさん、コメントありがとうございます
- コメントに対するお返事
- 正しい批判の仕方(個人的見解)
- 戦う相手
- 野良猫と地域猫の違いとは
- 野良猫問題
- 野良猫問題が解決しない原因
- 反省
- 野良猫に餌を与えている方へ
- 読者様へ向けて
タカさん、コメントありがとうございます
はじめにコメントの内容はともかく、僕の運営するブログに足を運んでいただきありがとうございます。拝見したところ猫のことがあまりお好きではないように見受けられました。それにもかかわらず猫のことばかりを記事にしている当ブログを読んでいただき、コメントという形でアクションを起こしコミット(かかわりを持つこと)しようと試みてくれたことに対して感謝いたします。
僕は猫が大好きなので僕の書いた文章を読むことは、猫が好きではないタカさんにとって不快だったに違いありません。それに加えて文章力も語彙力も構成だってデタラメな代物です。それにもかかわらずご意見を言っていただき嬉しく思います。
ただ野良猫に関して、僕のとった行動に対していくつか誤解されているようなのでこの場を借りて説明させていただきます。
コメントに対するお返事
はじめに「台風により野良猫が減り(死に)一代限りの命を全うすることに貢献している」という趣旨の発言についてです。
そもそも台風により命を落とすことは「命を全う」することだと言えるでしょうか。人間に置き換えて被害に遭われた方の気持ちを想像してみてください。被災し命を落とされた方を思うと気の毒で言葉にすることもはばかられますが、人生に対して悔いがないという方はだれ一人おられないでしょう。猫も同じです。
さらに「一代限りの命を全うする」という言い回しは、【野良猫】に対して使用するものではなく人により管理されている【地域猫】に対して使用する言葉であることを知る必要があるようです。【野良猫】と【地域猫】については後述します。
続いて「餌やりをしているようですが猫が増えるので猛省すべき」という趣旨の発言についてです。当該記事でも書いているので読んでいただければ分かることだとは思うのですが、僕が餌やりをしているのは【野良猫】ではなく【地域猫】に対してのみです。
僕は市区町村が実施している『地域猫ボランティア講習』を受講し許可を持っているので、やみくもに野良猫に餌やりをして回っている人を見つけたら注意・指導する立場の人間です。ですので恐れながら批判じたいが対象を誤っているということになります。
口うるさく感じられたとしたら申し訳ない気持ちですが、『猛省』という言葉は相手が(もしくは自分が)過ちを自覚している場合においてのみ有効な言葉ですので、猛省という言葉を使うのであれば僕にそれが間違った行いであることを説き伏せ自覚させる必要があります。
所見のタカさんの批判コメントの1文で悔い改めるような信念を掲げて地域猫ボランティア活動をしている訳ではないので残念ながら猛省どころか反省のしようがありません。タカさんはどうやら正しい批判の仕方を学ばれると、今後の人生において有益であるかもしれません。せっかく起こしたアクションがのれんに腕押しに終わり、徒労感と無力感を増長するだけというのももったいないと率直に思います。それに世の中は今回のように、真摯に受け止め回答する人間ばかりではありません。理解度が低いままアクションを起こし続けると、思いもよらぬ形で凶暴な意思を持ってタカさんに返ってくることにもなりかねないのです。
正しい批判の仕方(個人的見解)
何かを批判し、是正を求めたり考えを変えさせたいのであれば、対象をよく知ることが不可欠であると考えています。
たとえば野球を批判しようとしたとき「棒もって球打ってるだけのスポーツのどこが面白いんだ」と言ったとしたらどうでしょう。ひどく幼稚で的外れな批判に感じませんか?僕だったらたとえそう思っていたとしても共感なんてできません。
なので個人的には対象にのめり込んで(この場合なら野球を)詳しく学びます。ルールの妙や投手と打者の駆け引き、試合展開によりシフトして変わっていく守備位置だったりをです。さらに野球好きの人の意見に耳を傾け「歴代の名監督秘話」とか「野球の歴史」だったり「引退した選手のその後の話」にいたるまで関心のフィールドを広げます。野球とそれを取り巻くバックグラウンドを詳しくを知ったうえで『野球なんて面白くない』と主張した場合、その言葉には力があります。信憑性と言ってもいいかもしれません。
何かとコミットしたいと思って起こしたアクションが、デタッチメント(関わりを絶つ)の役割しか果たさなくなってしまえば、タカさんはたちまち孤独になってしまうことでしょう。多様性が叫ばれるこの時代に異なる考えを共存させまた自分自身が存在していくためには異なる考えが存在していることを知りながら黙殺するのではなく、またヒステリックに糾弾することでもなく、異なる考えがあり自分のそれとは相容れないことを知り、それでも受容することに他ならないのだと僕は思います。猫が好きか嫌いかの単純な図式で線を引いてしまうと物事の奥行きを知ることができず2次元的な思考にはまり込み、戦うべき相手を見失ってしまいます。
僕たちが暮らす社会は善か悪かの二極構造ではありません。善的な一面を持つ悪やその逆、どちらにも属さないないものや局面によって善と悪が切り替わる場面もあるでしょう。残念ながら正しさは社会に出ると誰も教えてはくれず、もがきながら自分自身で手に入れていくものだと思います。
猫が嫌いで野良猫問題に対して腹を立てているのであれば、その怒りを猫そのものにぶつけるのではなく野良猫問題が解決に至っていない理由や背景に目を向けるべきなのではないかとも思います。タカさんの戦うべき相手はきっとそこにあるはずです。猫を取り巻く諸問題に目を向けた結果「おまえがチャラチャラしたブログ書いてるのがすべて悪いんだよ」と思ったのであればそのときはどうぞまたお越しください。相手になります。
戦う相手
特定の個人に対して見解を書き連ねるのはフェアじゃないので、僕の活動理念を書いておきます。自らの理念と照らし合わせる判断材料としてお読みください。
まず僕がそのつたない文章を通して戦うべき相手として据えているものは『モラルの低下』です。猫ブームの陰で依然として猫を物として見ている多くの人に対して警鐘を鳴らすことです。ペットショップは(程度の差こそあれ)猫を商品として扱うわけですし、ブリーダーは(程度の差こそあれ)商品として猫を生産しますし、それを商品として購入する人の中のごく一部には商品価値がなくなるといとも簡単にゴミ出しをするのと同じような気持ちで猫を遺棄します。
弱い物をないがしろにしてしか成立しない社会構造ならそんなものは壊れてしまえばいいとすら思っています。そういった理由から個人的にはペット産業には懐疑的です。もちろん猫と暮らしている身としては完全にペット産業と関わりを排除することは難しいですが、よくない話を聞いたショップには投資をしないように心がけています。
さらに『旧・猫の飼い方』を実践し、町ぐるみで猫を飼う(屋外に出す※、不妊・去勢手術をしない、野良猫であっても腹を空かせていれば餌を与える)人間を目撃した場合は可能な限り注意、指導するスタンスを持っています。野良猫問題を助長するやみくもな餌やりは行いません。
※リードをつけて管理下での散歩は対象外
地域猫活動を推進します。ボランティア講習を受講し地域猫ボランティアとして活動する許可を得ています。野良猫を発見すれば縄張りや子猫の有無を把握するために調査をし、TNR(捕獲し不妊・去勢手術を施し元の場所に返すの意味)ないしは保護に向けて行動します。個人での活動は限界があるので難しい場合は保護団体へ報告を怠りません。
野良猫と地域猫の違いとは
頻繁に使用している言葉なので念のため解説させていただきます。
野良猫とは:屋外に暮らし特定の飼い主を持たない猫
地域猫とは:屋外に暮らし管理者により管理されている猫
この【管理】のなかには『不妊・去勢手術の施術』が必須条件として含まれています。施術の印に耳先をカットすることで「さくら猫」と呼ばれ、判別することが可能になっています。おおまかなくくりでいえばさくら猫なら地域猫に、さくら猫でなければ野良猫といえるでしょう。(脱走した猫や遺棄された猫は除く)
野良猫問題
野良猫は豊富な栄養を得ればたちまち繁殖します。民家の軒下や庭の茂みなどの安全な場所で出産をします。一回の出産で4~5匹、年に2~4回のペースで出産することができ、また発情した雌の1回の交尾での妊娠確率は100%であり、複数回の交尾で複数の雄の子供を身ごもることも可能です。さらに雌の猫は生後6ヶ月齢程度から妊娠が可能です。
それを助長するのが餌やりで「かわいそうだから」とか「すり寄ってきてかわいいから」という理由で野良猫を増やす結果になっています。
増えすぎた野良猫を漏れのないように捕獲し不妊・去勢手術を施すことはとても難しく、残った一部の野良猫が繁殖しては人間に被害を及ぼす状況の繰り返しになるケースが多く報告されています。これが野良猫問題の一端です。
野良猫問題が解決しない原因
・問題解決意識が低く餌を与える人間が後を絶たない
・保護団体、個人ボランティアの不足
・ペット産業の販売促進(猫の終生飼育に責任を取れない人でも購入できる環境)
・飼い主のモラル低下(遺棄する一部の人に限定)
・野良猫問題の周知不足(啓蒙の不備)
・観光資源として猫を利用する一部地域の存在
すべて人間に非があり猫そのものが原因でないことがおわかりいただけると思います。
反省
今まで『猫が好きではない人』に向けた働きかけを後回しにして、『終生飼育に責任を取れない人』に主眼を置いて記事作成を行ってきました。今回タカさんのコメントでそのことに気づかされ、そのことについては反省しています。
これからもっと見識と経験を積み重ねて不幸な猫を産み出す環境の改善に向けてアプローチを続けていこうと意を新たにしました。そのことに関して気づきを与えてくれたタカさんに感謝の気持ちしかありません。
野良猫に餌を与えている方へ
野良猫に餌やりをしている方へのお願いをこの場を借りて書かせていただくことをご容赦ください。
野良猫に餌を与えてはいけないと主張していますが、目の前で飢えてやせ細っていく野良猫を放置すべきという意味ではありません。餌を与えることじたいが問題なのではなく【不妊・去勢手術】を施していない野良猫に餌を与えていることが問題なのです。
冬の寒さや夏の暑さ、交通事故の危険やカラスなどの天敵による自然淘汰、これらのリスクを眼前に控えて世に送り出されてくる子猫の不幸を案じてください。動物虐待についてここでは触れるつもりはありませんが、こんなに残酷な仕打ちがあるでしょうか。まるで死ぬために産まれてくるように感じられるのは僕だけでしょうか。
餌を与えたいのであれば正しいプロセスを経て与え、猫を大いに愛してあげてください。
読者様へ向けて
個人の主張に基づいた文章に辟易とされた方もおられるかもしれません。しかしいつかは書かなければならない内容だったとも考えています。同意を求めもしなければ協調性を強要したりもしません。ただ多様な異なる考え方にふれて「ふん、そんな考え方もあるのか」くらいの気持ちで記憶の片隅にでもしまっていただければこの記事は成功だと言えるでしょう。
なぜここまでの熱量が自分にあるのか、ふと考えてみたところ答えは自分の故郷にあったことを発見しました。そのこともいつか記事にしてアップさせていただくことにして今回はここで筆を置くことにします。
最後までお読みいただきありがとうございました。