痛ましい動物虐待のニュースについて考える
このニュースを見てやるせない気持ちになった。僕自身が猫と暮らし、猫の保護に携わっているということもあり、我が事のように身を切られる想いがする。理由は『ストレス発散』のためなのだという。奪われた50にも及ぶ命は何を持ってしても戻ることはないし、またそれは誰かが必死の思いでつないだ命であったかもしれないのだ。
動愛法が改正されたとはいえ、日本において動物は依然モノとして扱われている。今回の事件で有罪が確定したにしても罪状は窃盗の罪が一番重く懲役10年であるのに対し、刑法の動物傷害罪で懲役3年、動愛法の愛護動物殺傷罪が懲役2年にしかならないのだ。
殺害、遺棄していることからすべての余罪を立証する事が困難となり、10年が経過したら釈放され再び世に出ることになってしまう。陰湿にして猟奇的な傾向を完全に矯正することは難しく、再犯する可能性もあるため厳罰を望む声が相次いでいる。
不幸な猫を増やさないための直接的方法
空前の猫ブームといわれる陰で、ペット産業に食い物にされ、モノ同然に購入され、事情によっていとも容易く遺棄をされてしまう猫たちは多い。それゆえ不幸な猫を救うべく各団体や個人ボランティアのさらなる活動が求められている。
・保健所から救出し、殺処分を免れる
・野良猫を捕獲、不妊・去勢手術を施す
・遺棄された猫を保護する
・上記の猫を可能な限り里親のもとへ里子に出す
・人慣れできない猫を地域猫として管理する
これらが偏ることなく提供されることが不幸な猫を増やさないために必要とされている。不妊・去勢手術がされなければ野良猫は増え続け、また保護するだけ保護して里親への譲渡を推し進めていかなければ意味が無く、地域猫ボランティアが不足していたとしたら保護団体はたちまち行き場のなくなった猫であふれてしまう。
こうして少しずつ一歩ずつ不幸な猫を減らす取り組みがされている一方で、今回の凄惨な事件は起きてしまった。
事件に想うこと
前項の活動が積極的に行われているのに対し、たった1人の悪意ある人間によって猫の幸福は脅かされてしまうことを痛感した。この悲しみを何に対して向ければいいのか分からないもどかしさだけが残った。容疑者が自供するところの「ストレス」がいったいどういう種類のものなのか、またそれを産みだしたのはいったい何であったのかまで掘り下げなければこの問題は解決しない。
容疑者への処罰を望む声のなかに、猫にしたことと同じ目に遭わせてやればいいという趣旨の発言があったが、暴力は暴力しか生まず憎しみは憎しみをふやすことになるだけだ。
握った拳を振り抜くべき対象がないこと、それが【やるせなさ】の正体なのだろう。異常者の慰み者になってしまった猫たちの冥福をただただ祈るばかりだ。