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クロツバメの浮き雲ライフ

保護猫のこと、時々趣味を綴ります。

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いなくなったツバメたち

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 僕の産まれた町は背後には峻険な山々、眼前には湖がありその隙間にしがみつくようにして多くはない家々が集まってできていた。その多くは観光を生業とし、訪れる人々から小銭をせびって細々と暮らしている山賊の集落のごときものだ。バブル期には恵まれた自然とアクセスの良さから観光客が大挙して押し寄せては町を潤した。

 

 修学旅行や夏場の林間学校などの行き先としても利用され、その需要を満たすために何とも場違いな巨大な観光ホテルが出現したほどだ。この話はそのホテルに始まり、そのホテルで終わる。どこにもたどり付かない。どこかにたどり付くことを目的として文章を書くのであれば、あるいは読むのであれば価値がない文章ということになる。

 

 

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 ホテルは僕が物心つく頃から町の象徴であり、大人たちの誇りでもあった。産業の輪の中に自分たちがしっかりと組み込まれていることを知るための偶像だ。ホテルが備えているべきものを一揃い飲み込んだ石の箱には、小学校の1クラスが一緒に入れるくらいの浴場があり、食堂や宴会場からゲームセンターに至るまでの文明の栄華を再現していた。

 

 ホテルの住み込みの支配人には息子がおり、名をタダアキといった。タダアキとは幼稚園で知り合い、小さな町の学校が往々にしてそうなように中学を卒業するまで同じクラスで過ごし、仲のいい友人でもあった。

 

 地元の子供たちだからと、大目に見てくれたのだろう。休みの日にはよくホテルを探検して遊んだ。バブル経済が崩壊しホテルの経営が衰退に向かってその歩みを着実に進めていることなど知るよしもなかった幼い僕たちは、当時すでに使われなくなっていたフロアをうろつきまわり、離れにある数多くの動物の剥製を集めた資料館などで時を過ごした。剥製が醸し出す『死のにおい』と虚空を見つめるガラス玉の無機質な煌めきが空間を満たしていた。

 

 (たしか)20階まであったホテルの屋上からは湖の全貌が眼下に見渡せ、あまりの高さと吹き荒れる風に身体を震わせながら、食べ終わったガムを地面に向けて飛ばしたりして遊んだ。屋上を住処としている動物がいた。『ツバメ』だ。

 

 

 石壁の至る所に巣を構えては、雨を予感すれば眼下の湖面へと急降下し住民たちに雨を知らせた。大群でやってきた彼らがどこから来たのかは分からないが、大勢でやってきては「じじじじっ」「ちーちー」と思い思いにさえずる彼らの姿は大挙してやってくる観光客にどことなく重なるところがあった。

 

 

 屋上からの眺めは文句の付けようもないくらいに素晴らしく、多くの時間をツバメたちと戯れて過ごした。捕まえたトンボを虚空に放ったり(驚くほどの俊敏さで彼らはそれを捕らえた)、ときに宙を舞うツバメに水鉄砲を向けては命中率のまるでないガンマンの称号をほしいままにした。

 

 

 中学を卒業するとタダアキは小さな世界を飛び出して寮が完備された高校へと進学し、それ以来町には戻ることはなかった。

 

 というより、戻るべき家を失った。ホテルが倒産したのだ。既存の観光資源に依存し、新しい産業を生み出す必要性をまるで感じていなかった住民たちの怠惰により、町は衰退の一途を辿ることになる。ホテルは程なく取り壊され後には芝生が敷き詰められベンチを配されただけの、みすぼらしい公園になった。ツバメたちも巣作りのできる石壁がなくなったことを知ったのか、町には戻らなくなった。タダアキとは何を話せばいいのか分からず、気まずくなりそのまま疎遠になってしまった。

 

 

 

 大人になり中年にさしかかった今もツバメたちとの戯れを思い出すことがある。幼かった少年の原風景はツバメを背景としていた。剥製を並べた資料館のひやりとした床の質感も、そこに充満していた『死のにおい』も手に取るように思い出すことができる。

 

 

 ただ『ツバメ』はもうどこにもいない。