ブログコラム【文章とは】
バタバタとした日々を過ごしているうちにブログの更新がおろそかになってしまいました。11月は10日に1回、記事の更新という体たらくぶりです。
忙しさもさることながら、ブログ運営について考えさせられる出来事もあり、モチベーションがあがらなかったというのも原因の1つです。
書きたいこと、伝えたいことがある一方で「この書き方だと読んだ人に間違った解釈を与えはしないか」とか「決めつけっぽい文章になっていないか」とかを考えてしまい、書いては消し書いては消しをしているうちに仕事が忙しくなり…といった具合です。
「完璧な文章など存在しない」というのは敬愛する小説家、村上春樹氏のデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭の一節であったように記憶しています。とても素敵な書き出しです。
ということで今回は『文章』について思っていることを吐露したいと思います。猫ブログとして訪れてくださった方には退屈な内容です。断言。
もくじ
文章とは
SNSが浸透した現代で、(多くの方にとって)文章をメインのコンテンツとしている【ブログ】が すたれないのは何故なのでしょうか。
個人的にそれは情報量の多さと、遅効性にあると思います。ボクシングにたとえるとそれはまるで「ボディブロー」のように重くじわじわと有効打になっていきます。読む人と書き手が文章を通じて時間と空間を共有することで、認識の一致・不一致や考え方の相違が生まれます。読みながら「何言ってんだこいつ」とか「そんな考えもあるのか」などと考えさせる力が文章にはあると思います。
逆にSNSはタイムリーなリアクションが得やすく拡散していきやすい反面、短い文はボクシングにたとえるとジャブ(攻撃の起点になる初手で威嚇やけん制、距離感をはかる役割も)のようなもので相手をノックダウンさせるほどの有効打にはなりにくいと勝手に考えています。意にそぐわなければスルーされ、ひとたびタイムラインの彼方に押しやられてしまえば人目に触れることはほとんどなくなります。
ゆえに自らの人となりを知ってもらう目的や、発信したいことを書き残すツールとしてブログが効力を発揮するのだろうと思います。
一言で言うと「なんだかやけに残る」ってことでしょう。
誰のための文章なのか
①対象を定めて書いた文章
②知ってほしいことを記録する文章
③文章の練習としての文章
④書きながら思考する自分のための文章
僕の場合はこの4つに当てはまります。今回は③④ですね。断言。
さておき
伝えたい想いに熱量を込めて記事にする時に意識している言葉があります。
「小説家の役割は時代や社会の病みをともに病むことだ」
これも村上春樹氏がどこかで書いていたことです。正確な文章は忘れてしまいましたがこのようなニュアンスでした。
僕のブログ運営と一流作家の創作を比較するなどおこがましいことではありますが、質はどうあれ文章を書いている人種であることに変わりはありません。
僕の場合は現代において【猫】が抱えている諸問題に触れ、見聞きするうちに解決に向けて(及ばずながらも、微力ながらも)行動することはとても重要で意味のあることだという結論に達しました。これが僕にとっての『病み』です。
おわりに
最後までおつきあいいただきありがとうございました。読んでくださったどなたかの参考になる部分があったとしたら嬉しいです。
お口直しにいかがですか?
自分にとってボディブローとなった記事です